羽生憲久
太田尾選手(元ヤマハ発動機)や山下大悟選手(元日野自動車)が早稲田大学の強い時代を築いた2002年そこには、名フランカーと呼ばれる男がいました。
羽生憲久選手です。
日本代表にも選出されていないため、知らない人も多いでしょう。
しかし、その仕事量はまさに日本一であり職人芸!
スクラムハーフも出来る彼はボールを持ってアタックをし、すぐさま次のポイントに行って球出しも出来ます。ディフェンスでは、適格なコース取りでウィングまで追い詰めボールを奪いに行きます。
身体は大きくはなく、どちらかと言うと細いと言われる体格ですが、フランカーとしては、最高の仕事をする最高の選手でした。
恐らく、羽生選手がディフェンスラインに参加した時の味方バックス陣の安心感は、測り知れないものがあったでしょう。
羽生がいる=俺が抜かれても羽入が止めてくれる。と思って信じてプレーしていた選手もいたかもしれません。
かつてラグビーマガジンに「フランカーの勉強をしたいなら羽生を見ろ!」とうような事が書かれていたほどです。
当時の清宮監督も惚れ込み、誰もが認める名フランカーでした。
早稲田大学卒業後は、トップリーグではなくJALに就職。フランカーではなく、スクラムハーフとしてチームを牽引しました。
その後は、トップクラブチームの神奈川タマリバ゙クラブで活躍されています。